"The Selfish Giant" by Oscar Wilde

劇作が好きらしい兄さんが適当に選んできた素材がこのオスカー・ワイルドの子供向け短編で、えーと、あっとまさにこれだ! 簡単で短いのですぐ読めます。あとこことか。以降粗筋とネタばれ(?)。
(粗筋)勝手な大男がいて、しばらく留守にしていた自分の家の庭で遊んでる子供達を追い払って立ち入り禁止にしました。もう子供のいない庭には春が来なくなり、冬に閉ざされてしまいました。再び子供が忍び込んで同時に春が来た自分の庭を見て、大男は改心しました。その子供達の中でも特に大男の心を動かした男の子がいたのですが、その子は庭に二度と現れませんでした。長い年月の後、年老いた大男の庭に、またその子供が現れて、その子は手のひらと足に傷を負っています。『こんなことをした奴をやっつけてやる!』と息巻く大男に、『これは愛の傷なのです。私の庭である、天国においでなさい』とその子供が答えます。その後、遊びに来た子供達は、白い花に覆われた大男の亡骸を見つけたのでした。
(ネタばれ?)男の子が傷を負っているくだりは、彼がイエス・キリストであることを示唆してて、オスカーワイルドがこれを書いたのか!と驚いてしまった。勿論宗教に造詣は深かったろうけども、彼は耽美と退廃の人、信仰心からは程遠いという印象を勝手に持っていたので。
この短編は割と早い時期に、『幸福の王子』などと一緒に、自分の子供のために書いたものだとか。色々調べると、不遇の中の死の前日についにローマ・カソリックに帰依したとのこと、それまでも常にカソリックに対して畏敬の念を持っていたらしい。恐らく、彼の性的指向や裁判などが、長らく教会に受け入れられなかった理由なのでしょう。
私の住むMA州はアメリカの中でも珍しいカソリック優勢の州で、同時に同姓婚をいち早く合法化するなど革新的政策が取られる州でもあるので、ゲイ-宗教の問題がよくニュースになる。相当数いるだろう、敬虔なカソリック教徒だと同時にゲイである人の気持ちは、私なんぞの想像を絶するけども、さぞ辛いことも多かろうと思う。それにしても、オスカー・ワイルド、今的だなあ。(っていうか、今も昔も事情が変わってないだけなのかなあ。)でも、今の世の方が、まだ生き易かったでしょうね。