「窯変 源氏物語」橋本治

窯変 源氏物語〈7〉 胡蝶 螢 常夏 篝火 野分 行幸 藤袴 (中公文庫)
全14巻途中。あまりにうざい源氏の性格に挫折しかかりましたが、なんだかんだと結構はまって読み進めてます。現在8巻までなので、まだ半分くらい。この7巻目の「常夏」「行幸」に出てくる「近江の君」の喋りから性格からが知人にそっくりで大笑い。古代の世界に一人現代人が混ざって浮いているという感じ。
原作の源氏物語を読んでないのでどれだけ違っているか判然としませんが、換骨奪胎というか、かなり変更(特に心理描写の追加)があるようです。「窯変」だそうだし。全編源氏のモノローグという形で、現代語(和語)によって心理描写が書き込まれ、和歌や歌謡の類も不自然でない形でその意味も混ぜ込んで書き下しています。読み進むうちに、「和歌」や原文への興味が湧いてきます。といってもすぐ読んでも分からないとは思うので、谷崎潤一郎なんかを経て行くべき?
それにしても、源氏物語は当時のリアルタイムの天皇家のフィクションなんだけども、これがありえるというのがすごいというかよく理解ができなくてもやもやします。例えば今の時代で、日本の天皇家を題材に全く違う天皇家のフィクションを書けるかなあと。これが総理大臣だったら、最近の二代を合わせて「福部総理大臣」とかが物語に現れて、いかにも「日本の総理大臣」っぽいイメージで描かれるのは小説・漫画なんかでよくあると思うんだけど、これは総理大臣があくまで職であって代替可能だからかと。今の時代に天皇家を別物として描くのは、これはもうSFのパラレルワールド物か、全然読まれない純文学かのどちらかでしょうか。平安の時代に宮中でしかもその時の時代背景のままに物語が書かれて、その中に生きる人達に非常な人気があって、1000年後まで生き延びているほど公に読まれ続けたわけで。藤原一族の栄華の中、天皇はいつでもすげ替え可能な「役職」でしかなかったからこそ書かれたんでしょうか。この時代の物語とは、天皇家とは、宮中とは? むしろ今の時代(あるいは私の捉え方)の方が硬直化してる? 自分の中でしっくり来ないのは、無知ゆえでしょうね。勉強しなきゃ。