朝は、これから日本に旅立つ

ダンナを送りに、8時頃荷物ひきずって電車に乗ろうとするも…なかなか来ないわ、やっと来たら停留所に止まらないわ、ちょうど通勤ラッシュでどの電車もぎゅう詰めだわ、で、結局ダンナだけタクシーに押し込む。せっかく重い荷物を引きずって電停まで行ったのに…。(そして、またダンナがタクシーでぼられるかと思うと…)
で、私はそのままクラスへ。珍しく早めにつく。(と言っても始業前5分前くらいか。)
その後、昼はまた図書館で宿題しがてら。んで、電車でニュートン市の方へ野暮用。
そっから夕方帰る途中、電車の中で面白いおばあちゃんに声をかけられる。
最初韓国語で話しかけられて、ごめんなさい日本人です、っつったら、それはもう流暢な日本語に切り替えてお喋りするわするわ。ちょっと前に会った、戦後にアメリカに嫁いでずっと暮らしている人の日本語よりも、上手なくらい。元気溌剌、70越えてるかなー??と思ったら80越えてるそうで。元々は今の北朝鮮の出身で、分離前に南側の国境近くに移り住み、子供達が大学の頃にアメリカに移り住んで来たそうな。子供はハーバードに行ってアメリカに職を見つけ引っ越して結婚し、孫も沢山いて、自分は一人暮らしをしているらしい。今日もニュートンから色々電車やらバスやら乗り継いでレキシントンまで遊びに行くって…。
子供や孫の考え方が完全にアメリカ仕様になったのと、遠くに住んでるのとで、独立の生活になりすぎたのが寂しそうではあるけれど。それと、2度と生まれ故郷を見ることもないだろうことも。この日本語の流暢さは、小学校の頃日本語で教育を受けてきたことの現れで。(こういう時も、どう相槌を打ったらいいか迷いますよね。「私くらいの年の台湾の人も日本語喋れる人が多いのよ、知ってる?」と言われて、「ええ、そうですね」としか答えられん。)学校で習った後も、文芸春秋(!)やら日本語の雑誌を読み続け、日本人を見つけたら話しかけて、常にブラッシュアップし続けてるらしい。恐るべし、ばーちゃん!
アメリカのあっちゃこっちゃの話から、韓国の話から、日本の皇族の話まで。(皇族ネタに異常に詳しい(^_^;)。なんか、生まれてくる子供は男の子に違いない、そうしたら、お兄ちゃんに養子にやるべきだ、それが韓国も日本も昔ながらの共通の考え方のはずだ、と…。そ、そうっすか?)あとは、北朝鮮のミサイルについて、「私の生まれ故郷だからね。やっぱり応援しちゃって、心の中で拍手しちゃってわね」と言われたのには、さすがに引きました(^_^;)。そういうもんかもしれませんね、でも日本人にはあまり言わない方がいいかもしれませんね、とやんわりと。
でもまあ、エネルギッシュな芯の強い女性の話と言うのは、楽しいもんで。ついついお喋りに釣られて、本当は別のルートで帰ろうと思ってたのがグルリと回ってCentralの方まで行ってしまった。
せっかくなので、糸コンとか買って帰る。