Hostel

Hostel
ダンナに見せられた、ホラーのグロ映画。結構面白かったけど、これが何週か米で興行収入が1位だったとは信じられん。まあ、オランダやスロバキアの風景が見れて楽しい。
アメリカ人が羽目を外しにヨーロッパ〜東欧へ買春(映画の中では買春ではないですが。「東欧ではアメリカ人というだけでモテモテ」と言われて信じて、ひょこひょこ行くだけ)に行ってそこでエライ目に合うわけです。見ていて、"Texas Chainsaw Massacre"の国際バージョンだなあ、と思いました。(こっちは、都会から自動車旅行で来た若者達が田舎でエライ目に合うわけですが。「のどかな田舎にいくから安全」という期待が裏切られるわけですね。)自分に都合のよい幻想だけを信じて、不用意に未知の場所に行き、手痛いしっぺ返しを食らう。
また、ここにあるのは、<都会−田舎>という対比でもあり、それは通常<金を落とす側−受ける側>でもあり、<理由なく馬鹿にする側−される側>でもあり。映画は都会側が消費するものだと思うけど、都会側には、<地理的に田舎の場所=何があるか分からない場所(何か起こっても隠せそうな場所)>、<貧しい側=お金のためならなんでもやる>、<馬鹿にされる側=復讐の機会を伺う>という感覚がどこかにあるのでは。あと、ほとんど無自覚な傲慢さというのは、それに真っ当な理由がないだけに、どこかで仕返しされるのを待ってるのかも。さらに進んで、「だから田舎、すなわち異文化の(未開の)地は怖い」幻想につながるのかも。(で、アメリカ政府なんかが煽って利用してる…なんてムリヤリ展開しちゃいけませんね。)
こういう方向に考えが進むは、私が地方の田舎出身だからかなあ。東京などの都会にも住んで、沢山の「理由なく地方出身者を馬鹿にする人(反動で憧れる人)」や「田舎出身であることを恥じる人(反動で過剰に自信を持つ人)」を見て、訳わからんなーと思い続けて来たからかも。そして、今現在、アメリカに住んでるということもあるでしょうね。
しかし、あの若い女性の日本人旅行者二人連れは、何しに来てたんでしょうかね。そう旅行を楽しんでるようでもないし。英語はダメだけど、スロバキア語は喋れてそこの土地に興味があったんだろか。そうも見えないけど。なんか嫌な描かれ方だなあと思ったけど、あれが一つの典型例とみなされてるってことなんでしょうね。
しかも、中国人女優(韓国かも?)が「過剰に日本人の若い女性っぽい仕草で」「下手な英語で」と演じてる。
大体、「ギリギリの窮地を生き延びる男女二人」は力と知恵を出し合って(ついでに愛も芽生えたりして)というのが映画なんかでは多いと思うけど、その日本人の女の子は主役に助けられた後も、足手まといで特に役に立つこともなく、ほとんどコミュニケーションもとれないまま。ほとんどプロットのためのただの小道具扱い。タランティーノが製作総指揮だから日本贔屓で出したのかなあと思ってたら、どんどん、なんだかなあ、という気分になりやした。