Kara Walkerの作品に気付く。

朝からボストン美術館(MFA)へ。二人とも別の連れと流して見ていた、"Degas to Picassoドガからピカソ展)"(1/18〜7/23)を、しっかり見ようと。私はBUの学生証も持ってるのでいつでも入館無料だけど、ダンナはそうでないので、BOA(Bank of America)のカード保持者が無料になる5月のうちにと、行きました。晴れなので、自転車でチャリチャリと。意外と近いです。美術館近くは公園や小奇麗な大学なんかが幾つかあって、自転車漕ぐのも気持ちがいい。
日曜で混んでるかなーと思いきや、午前中のせいか駐車場もガラ空き。連休の中日だからかな。中に入ると、そこそこ人がいました。気のせいか、3割くらいは日本人では??っちゅーくらい日本語が飛び交っており、不用意な日本語を垂れ流してはいかんと気を引き締めてと。
ところで、Degasは、どう聞いても「デガー」(後半にアクセントがあり音が高くなる)と発音されるんだけど、なんで日本でドガなんしょ。仏語だともっと「ド」に近いのかいな。最初、絵が好きな友人と話してて話題に出た時に、「ドガと別にデガーって人がいんのかなあ??」と困惑したもんす。
さて、"Degas to Picasso"は特別展示と常設展の中間というか、MFAの所蔵の20世紀前半のヨーロッパ近代美術を集中的に展示したもの。そこらじゅうピカソとか置いてあっていくらでも近くで見れる。他の画家の絵も沢山展示していて、有名どころでマチスやミロ、ムンクにクレーにエゴン・シーレにその他大勢ゆっくり見れました。ゴーギャンとかダリもあったな。最近パンチの効いた絵が好きなので楽しい。しかしこの時代のドイツ画家の絵は暗いねえ、仕方ないのかな。その後、常設のヨーロッパ絵画など、あちこちフラフラ。
で、2Fのある場所で、壁に大きく等身大で描かれたちょっと見にかわいらしい影絵のような絵を見て、ギョッとしました。この絵は今まで何度も見ているけど、ただかわいいデザインだと思ってボーっと見過ごしていたらしい。灰色の背景に、白と黒の影絵が描かれている(というか、紙を切り取って壁に貼って、その上をペイントしてるみたい。通路の壁で誰でも触れる場所だし)。アップされている写真を発見。ギョッとしたのは、子供の影絵の股間から汚物のような物が垂れ落ちているのです。その黒い切り絵の裸同然の恐らく少年は、別の、綺麗な服を着た笑う男の子の白い影を支えています。(今見ると、垂落ちているのは汚物というより性器が溶け落ちているようにも思えます。)その隣には、髪を高く結い上げて大きく膨らんだドレスを着た女性の白い切絵を、草の上に裸足で立つ恐らく粗末な服の女性が持ち上げている。その他、白いドロドロした物に覆われた黒い影や、明らかに性的なモチーフの物も並んでいます。ここまで来ると、テーマは明らか。そうしてみると、どぎついと言うか、ほとんどえげつない作品にも見える。さっきまで可愛らしい影絵だったのに。これを見て、アメリカ人の一般の観客はどう思うんだろうか??(人種差別に敏感な彼らは、私の鈍感さと違って、すぐに気付くに違いないと思うけど。)あれこれ考えながら、しばし見入りました。
作者は、Kara Walker。ギフトショップで画集もあり、パラパラ見る。帰宅後さっそくいくつかの本やDVDを図書館にホールド依頼したり、ネットで調べたり。引用じゃないんですが、Wikipediaの説明を中心にまとめるとこんな感じ。

彼女はカリフォルニアで1969年に生まれのAfrican-Americanで、父親が画家であり教鞭もとっていた。Atlanta College of Artで学位を、Rhode Island School of Designで修士を取る。テーマは人種差別やジェンダーであり、とりわけ、African-Americanの女性のアイデンティティジェンダーを問題としている。切り絵や影絵で、南北戦争以前の南部(Antebellum South)の情景を物語的に表現し、当時のビクトリア朝の素材でロマンス小説のような題材と同時に奴隷制度を描いた情景は幻想的な悪夢のようでもあり、その作風は高く評価されている。本人も認めるように、Andy Warholの60年代の作風に影響を受けている。幾つかの彼女のイメージは、レイプやリンチ、去勢や殺人やカニバリズムなど、ほとんどグロテスクと言えるものも多く、賛否両論で物議を醸している。現在NY在住で活動を続けており、コロンビア大学のファカルティでもある。

その他、あれこれ。(右は彼女の画集の表紙。)
Kara Walker: Narratives of a Negress

ボストンは、まあなんちゅうか文化的な街で、このボストン美術館でも名画と言われる絵を沢山見れて、気に入ってる絵もあります。でも何度も行ってるし、年のせいもあるのか、「気になる出会い」は滅多にない。そして、人からの情報ではなく、「自分で」見つけるということも少なくなってる気がする。なので、こういった「自分で見つける出会い」はとても嬉しいものです。

まあ、そんなこんなでうろうろして、結構遅くなってしまった。Fenway周辺の野球を見に来た人で大賑わいの中を通り過ぎ、定番の、Kenmoreのカレー屋。その後、ダンナはBU、私は帰宅。

7時半頃から、川沿いを6キロばかしジョギング。もう夕暮れ時なのに、芝生状になっている川沿いは大賑わい。走ってる人も多い。後半疲れて歩こうかなーという時に、黒人の親子連れとすれ違い、手を引かれてる女の子がニコニコして手を振ってくれたので、手を振り替えして、こりゃ歩くとかっこ悪いかなと走り続ける。
ところでこのとても見晴らしがよくて気持ちの良い川沿いでくつろいで涼んでいたり寝そべって身体を焼いていたり散歩したり走ってたりするのは、ほとんど白人。学生風のアジアンや中近東系の人もボチボチいる。だけど黒人はすっごく少ない。まあハーバードの近くなのでこの辺りに来ているのは学生が主なのかもしれない。(近隣大学、ハーバード、MIT、BUのどれを取っても、黒人学生の割合は少ない。)でも、近くのCentral Sq.周辺の川寄りの部分にも黒人の一家が多く住んでいるエリアもあるので、決して川沿いの住宅街が棲み分けで白人ばかりがいる地域というわけでもない。黒人の人々はここら辺には来ずに、ごちゃごちゃしてゴミの多いCentral Sq.周辺をたむろってるのである。
今日わずかに見かけた黒人の人々は、そのほとんどが、この川沿いの道路でも、人々がくつろいでる川寄りではない反対側の歩道を歩いていた。なんだかなあと思う。もっと暑くなると、寝そべって身体を焼く白人がすごい増えるけど、黒人はまずいない。(まあ白人以外少ないよね。)これも毎年、なんだかなあ、と思う。日本人友人が「あの辺り黒人を多くみかけるから恐いよね」みたいなことを言うのを聞いても、なんだかなあ、と思う。(えーと、これは、「黒人は乱暴で怖い」とかいう差別的言辞ではなく、「黒人が多い場所は貧しい地域であり、そういった場所では犯罪率が高いので気を引き締めないと」ということです。でもねえ。。)ともかく、こういった「なんだかなあ」は、暮らすうちに、澱のように溜まっていく。異邦人でここに骨を埋める積りもない私でこうだけど、アメリカで生まれ育った人々、あるいは移民の人々が、こうした明確には異論を唱えにくい雰囲気みたいなものを、気付かないうちにどう溜め込むのか、(あるいは溜め込まないのか?)私なんぞには想像もできません。
今日は、Kara Walkerの作品に気付いたせいもあり、そうしたことがいつにもまして気になった。なので、この川沿いの道ですれ違った黒人の女の子が屈託なく笑いながら手を振ってくれたのは、なんか嬉しかったのです。うん。